ヒプノセラピーを受けて気づいた、自分が「人の評価を過剰に気にする原因」

メンタルハック

ヒプノセラピーを受けて自分の潜在意識に入り、自分の感情について見直したことによって「なぜ自分が人の評価を過剰に気にする体質になったのか」が見えてきたのでちょっと説明したいと思います。

同じように人の評価が気になって生きづらい人の一助になれば幸いです。

不安そうな男性

人の評価が気になるようになったのは家庭環境が原因かも?

ヒプノセラピーを受けて「根拠もなく『人から詰められるような気がする』という不安感」について、かなり軽減できたものの、まだ完治には至っていませんでした。

その後も「なぜこのようになったのか」、「この不安感を手放せない自分の考え方や習慣がないか」など考え、日々内観していました。

すると自分の父親の特性が一つの原因ではないかと思えてきました。

それは「自分の思いと違うことに対して怒る」という性質でした。

怒る男性

とにかく受け入れる許容値がめちゃくちゃ低かった。

なぜ相手の状況やバックグラウンドを想像したり慮ることができないんだろうとずっと思ってました。

今となれば「サイコパス」や「発達障害」などの言葉が流行ってるので、そういうことか〜と納得できますが、当時(学生時代から社会人はじめくらいまで)は「なんて頭の悪い人間なんだろう」と思っていました😅

そしてその父親の怒りが向かう先は大抵母親でした。

嫁姑問題も合わさって母親は相当なストレスだったと思います。

そして自然と自分が母親のメンタル面をフォローする形になりました。

慰められる女性

そんなストレスに晒されている母親に冷たく当たる時期もありましたが、自分は「母親の不機嫌になることをしてはいけない」という考えになっていきました。

当然自分も幼少期から父親の理不尽な怒りに触れています。

幼少期の自分にとって親は自分の生存を握っている存在です。

なのでずっと親の顔色を伺って生きていました。

幼少期の自分にとって、正しさや自分の意見よりも「親が不機嫌にならないこと」が最重要事項だったのです。

学生時代から社会人になると理不尽な親の言い分にはシカトという形で反抗はするようになったものの、幼少期から続いた経験は自分を犠牲にしても人を不機嫌にしないという人格を自分に作り上げてしまったようです😱

両親が顔をしかめることは自分がやりたい思っても出来ない、会社で仲間が困る状況なら自分を犠牲にして深夜までひとりで残業する、横断歩道では必ず小走りになるetc…

また、理不尽に怒る父親を反面教師にしてしまったばっかりに「怒る」という動作も出来なくもなってしまいました。

気づけばなんでも溜め込んでしまう癖も出来上がってしまいました。

自分にも原因があった

ここまで環境のことばかり書きましたが、次は「自分が自分で刷り込んだこと」について説明します。

まぁ上述した環境に起因すると言えばするのですが、今となれば「大失敗」な刷り込みと心掛けです。

これを読んだ方は絶対に真似しないでくださいね😅

1.「怒る人は頭が悪いと定義した」

先程ちらっと書きましたが、理不尽に怒る父親を反面教師にした結果出来上がった定義です。

理不尽に怒っている内容の大半は、こちらから見れば「視点をずらす」「背景を想像する」ということでほとんど怒りを発生させなくて済む内容に感じていました。

また、会社でも「そんな仕事できるか」とつっぱねる年配社員の仕事を大抵自分が引き受けてこなすことが出来ました。

そのことから「怒る人はみんな頭が悪くて能力が低いから怒るんだ」という定義付けをしてしまいました。

このことがどう悪いかというと、「自分自身に対しても怒ることを許可できなくなってしまった」のです!

いやー、怒ることがすべて悪と一般化してしましたね。

確かに「視点をずらす」「背景を想像する」ことによって怒りを発生させなくて済むこともあります。

でも考えが及ばなかったり、明らかに被害を被っているときだってあるんです。

そういうときは怒りを表現してもいいし、おかしいならおかしいと表明すればいい。

怒ったあとに自分が間違っていたかなと思ったら謝ればいいし、100%の正しさで怒る必要はないんです。

人間の身体のほとんどは動物的な物質で、怒りは動物として自然な感情ですよね。

溜め込むのが一番良くない。
溜め込んだ怒りは消えずにストレスとして存在し続けます。

真面目な話、自分みたいに軽度うつや皮膚の乾癬になったりしますよ。
(軽度うつはほぼ治りましたが乾癬はいまだに治っていません)

怒ることは全然恥ずかしいことじゃないし、表現してもいいことなんです。

そして「怒り」の大半は根底が不安で出来ています。

不安を感じている自分に「怒っちゃダメ!」と鞭を打つ必要はないし、怒ってくる人も根底は不安なんです。

あっ、もちろん上記の内容は怒りを表現出来ない自分に言い聞かせてるのであって、怒りを抑えられない人に言ってるわけじゃないですよ。

すぐ怒ってしまう人も自分が何に不安を感じているかを見つけれるといいですね〜。

2.父親に「お前は頭が悪くて能力が低い」と証明しようとした

1とめちゃくちゃ関連してますね

20代の殆どをこのことに費やしたと言っても過言ではないです。

証明するためになんでもできるように努力しました。そして父親が「そのなの無理だ」と声を荒らげた作業をほとんど履行しました。父親に「怒っている自分が馬鹿かもしれない」と気付いてもらえると思ったからです。

まだその時の自分は「人を変えることは出来ない」ということに気付いてませんでしたね〜。

そして怒っている父親に自分の能力を見せつけても無意味でした。

なぜなら父親が怒っている理由が「出来るかわからない不安」と「人が思い通りに動いてくれないからうまく行かなくなるかもしれないという不安」だからです。つまり失敗することや責任を背負うことに怯えて人のせいにして怒っていたのです。

つまり父親本人が「自分を許すこと」と「思いと違う状況を受け入れること」が出来ないと無理だったのです。

結果、理不尽に父親の怒る癖は変わらず、「面倒くさいと思った事や自信がない事をお願いしてくる」という負の側面が増えただけでした。

そして「バカが世界を悪くする」という優生思想のような全く不合理な考え方を自分に刷り込んでしまうだけでした。

3.人を不機嫌にしてしまうことは自分の能力が低いからだと思った

おぉ、書き出してみるとこれも関連してますね

これは主に会社で培った?刷り込みでした。

どこの会社でもそうだと思いますが、営業には過大なノルマが課せられますよね。自分は営業職ではなかったですが、営業を支えるサポート部隊の部署でした。

そして、営業の人たちと年齢も近かったこともあり、自分の部署(サポート部隊)の年配社員に対する不満をいつも聞いていました。

お客さんと直接相対し、数字に追われる営業のストレスを想像すると、自然と「社内だけでも営業の人達にストレスを溜めないようにしてあげたい」と思うようになりました。

そして「仕事をつっぱねる年配社員が機能しなくても、自分ひとりだけでも営業を支えられるスーパーマンになろう」と思うにいたりました。

いやー、若者らしい果敢な挑戦だ。

でもそれくらい営業の人たちの怒りや不機嫌の感情に触れるのが嫌だったんですね〜。

ずっと「人の機嫌が自分の責任範疇」だと感じていました。

運良くその姿勢が功を奏し、会社での評価は上がり、役職もつけていただくことが出来ました。

「この姿勢で行けば人の不機嫌にも触れずに評価も得られる」

一見Win-Winの理想形に見えたものの、それは長くは続きませんでした。

毎日コーヒーを流し込み、常に頭はフル回転。

次第にミスが目立ち始めて来ました。

頑張っても頑張っても、気をつけても気をつけてもミスを無くすことが出来ない。

そして楽しめていた趣味も楽しめなくなり、家でも会社でも「ミスを詰められるんじゃないか」と強烈な不安が収まらなくなりました。

はい、軽度うつの完成です。
(めちゃくちゃキツかったけど心療内科では「様子を見ましょう」という診断でした)

結果、仕事を続けられなくなり、軽度うつを改善するために無職で1年以上の時間を費やすことになりました。

自分が軽度うつから立ち直った方法

いやー、大失敗🥰

鉄は熱いうちに打てと言うけれど、弾性限界ではポッキリ折れますね〜

現在軽度うつはほとんど治っていますが、今度は「努力するのが怖い」という新たな感情が芽生えました笑

ほんと、出来ないことは出来ないでいいし無理してやろうとしなくていいんです。

たとえボトルネックになる原因が自分の外にあったとしてもそれも含めて現状の最善なんです。

どうしても納得できないなら自分が動けばいい。

そしてやりたいことに対して、努力せずに「夢中」になればいいんです。

人からの評価が気になるのは自分だけが悪いわけじゃない

ということで多少話が脱線した気もしますが、人からの評価を過剰に気にしてしまう性質が環境によって出来上がる可能性もあるという話でした〜

散々親のことをボロクソ書きましたが、親が100%悪いということでもないんです。

親は親で、その親から受けて来た理不尽もあるだろうし、遺伝の影響も多分にあると思います。

ほんと、自分も含めてうちの家系は扁桃体が過剰(不安ホルモンが発生しやすい)なんだと思います。

今自分は再就職し、実家を出て上京しました。

母親のことは心配だったけど「母親がストレスで死んでもいいから出ていこう」と腹をくくって家を出ました。

そのお陰でまったく親の顔色を伺うことなく、やっと自分の人生が始まった気がしました。

あのまま実家にいたら心臓が動いているだけで死んだまま人生を送ることになっていたでしょう。

親も含めて人からの視線が気になるなら上京はおすすめですよ。

人が多すぎてだれも他人に興味ないですからね☺️めちゃ快適〜

問題解決の結論ではない話でしたが、何かの参考になれば幸いです。

みんなあんまり自分を追い詰めないでね

「自分の行動と相手の機嫌は関係ありません」

「相手の機嫌は相手の責任です」

ではでは🤚